1年経って思うこと

1年、経った。

皆、色々な事を忘れていく。

日常の中で、自分の利益を優先していく。


あの時。

津波による凄まじい被害。

物資の不足。

被災地だけでなく、首都圏も。

前例の無い中で、それぞれが出来ることは何かを考えた。

日本を守ろう、と思った。

絆という言葉は恥ずかしいけど、あの時は確かにそういう意識の共有があった。


だけど、その時でも、浅ましい人たちはいた。

ペットボトルの水を買い占める人。

ガソリンスタンドの列に割り込む人。

自分さえ良ければ、という人たち。


今、そういう行為は笑い話にもならない。

誰も覚えていないから。

でも、今、声高に反原発を叫ぶ人たち。

被災地のがれき受入れを拒む人たち。

政府が、政府が、とぼやく人たち。

そういう人たちに、僕は同じ臭いを感じる。


できることをしようよ。

人から聞いたことを鵜呑みにしないで、自分の頭で考えようよ。

教えてくれじゃなくて、勉強しようよ。

被災地の人たちのことを考えようよ。

あの時の事を思い出そうよ。

自分の気持ちばかり優先するのは控えようよ。


思想を先に、事実を曲げることは止めようよ。

これを機会に儲けようとか、名前を売ろうとか、止めようよ。

浅ましいよ。

恥ずかしいよ。

人として、良くないよ。


1年経って、皆が色々な事を忘れていく。

忘れた方が、良い事もある。

忘れなきゃいけないこともある。

だけど、1年経って、ずっと安全圏にいる人たちの声ばかり大きくなって。

自分の感情ばかり優先する声ばかり大きくなって。

悲しい。

悔しい。

やるせない。

皆、何故あの時の気持ちまで忘れてしまうのか。

未曽有の大災害。

たくさんの人が亡くなったし。

家を失くし、避難生活を余儀なくされた。

住み慣れた町を、離れなければならなかった。

日本中が、何とかしなければと思った、筈だ。


感情を優先する人たちは、元々特定の思想を持っている人を除けば、ほとんどが正しい情報を得ていない。

勝手な想像、聞いた話、TVが、ツイッターが、等々…自分の頭で考えていない。

震災から今まで、この国でどんな人たちがどんな努力を続けているかを知らない。

過去も含めて、人類にどんな経験と知恵があるかを知らない。

特定の思想を持つ人、これを機会に儲けたい人、何か勘違いをしている人の発言にばかり振り回されている。

不安があるから、その不安を肯定してくれる情報ばかりに飛びついてしまう。


マスコミは、不安を煽るか、お涙ちょうだいか、どちらかしか報道しない。

正確な情報を、判り易く伝えることが最も必要なのに。

学者は、言葉を持たない。

彼らの言葉は難しくて伝わらないけど、彼らはそれを改めることができない。

それを咀嚼する作業が必要で、それこそマスコミの役割なのに。

この国のマスコミにはそれが期待できない。

誰か、正しい情報を伝えてほしい。

政府なのか、民間なのか、インターネットの草の根なのか。

何でもいい。


今のままでは、浅ましい人たちばかり跋扈する今のままでは、悲し過ぎる。

1年経って、こんな状況は悲し過ぎる。

忘れているなら思い出そう。

あの時の気持ちを思い出そう。

もっと勉強しよう。

事実を知ろう。

口当たりの良い情報ばかりに頼らないようにしよう。

浅ましい人間にならない、日本人としての誇りを持とう。