「派遣村バッシング」バッシングをする人たちがすべきこと

 人それぞれ考え方は違うものだ。

私には行き過ぎた「派遣村」叩きは単に不人情なだけでなく不合理としか思えない。あからさまな冷酷さは必ず反発を生み、失うもののない弱者の捨て鉢な復讐を生む。
それくらいのことは少し考えれば誰にでもわかるはずなのに、なぜこんなに「良識ある一般人」が弱者に冷たいのか、意地悪なのか。どうしてこれほどいじましいのか、不寛容なのか。

「派遣村」叩きに日本の国民性を思う - 玄倉川の岸辺

 派遣村を叩く者は「不人情」「不合理」「冷酷」「冷たい」「意地悪」「いじましい」「不寛容」。まあ、そう思うのも書くのも自由。でも、ちょっと違うんじゃないか。

 「自己責任」という言葉以前に、僕たちには「働かざる者食うべからず」という言葉があった。この言葉に違和感を感じる人は少ないと思う。

働かざる者食うべからず はたらかざるものくうべからず(一般)

レーニン新約聖書パウロの言葉を引用して言った言葉。
新約聖書では「働こうとしない者は、食べることもしてはならない 」

働かざる者食うべからずとは - はてなキーワード

 難しいことは抜きにして、所謂「派遣村叩きをしてる人たち」の意識の底にはこの言葉が、そして更に日本人が持つ勤勉さ、勤労を尊いと思う精神があるんじゃないか。

 この言葉の「働かざる者」は「働けるのに働かない人」を指す。僕たちは無意識にそれを「卑しいこと」だと認識する。それだけのことだ。そういう意識は、今に始まったことじゃないだろう。無計画に金を使い、酒・たばこ・ギャンブルなど遊興に費やし、解雇翌日から路頭に迷う愚かさにも同じく「卑しさ」を感じる。

 当然「本当に働けない人」まで救済するななどとは誰も言ってない。「働けるのに働かない人」が多いんじゃないか、と言ってるだけだ。だから僕は一昨日、その部分が本当はどうなのかを「純粋に知りたい」と書いた。

 よって、「派遣村バッシング」をバッシングする人たちがすべきことは、派遣村に集まった人たちが「働けるのに働かない人」じゃないと証明することである。もちろん、すぐわかるような嘘は駄目だよ。

 あと、そう言いながらも日本人は最後の最後で「卑しい人」だって救済するよ。でもそれは、わざわざ大声を張り上げて言うことでも、他人に対して自慢することでもない。それこそ「卑しい」ことだ。



【おまけ】

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/kaku1-2.HTML
 ついでに見つけた面白いテキスト。上のはてなキーワードにも「レーニンの言葉」とあるけど、「働かざる者食うべからず」は左翼の言葉だったんだなあ。